沖縄支部
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松山大学温山会沖縄支部総会報告
松山大学温山会沖縄支部総会報告
平成29年3月4日(金)午後4時から、那覇市泉崎のANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービュー10階「羽衣」で沖縄支部総会が開催された。
総会・懇親会は事務局の源河利憲氏(大51)の司会で始まった。
最初に温山会沖縄支部の勝連均支部長(大48)から来賓・会員へのお礼の後「2013年に支部が結成され2016年に第2回の支部総会が開催されました。その間次回の開催を楽しみにされていた山川文康先輩(大17)が平成27年3月にご逝去されとても残念です。2013年の第1回目の夜、11時頃まで飲んでいろいろお話しいただいたことを思い出します。
現在沖縄出身者43名が卒業しており、内15名の情報を把握しています。その他の方は、県外で就職して連絡が取れない状況です。今後は2月の第一土曜日に定着させ継続発展させたいと思います。沖縄支部は2000年以降の卒業生が多く、若い世代が多いのでSNSやインターネットを活用したネットワークを広げて少しでも多く参加できるよう工夫していきたいと思います」と挨拶があった。
総会では、第1号議案の第3期役員人事、第2号議案の平成28年度活動報告及び収支決算、第3号議案の平成29年度活動計画と収支予算案が原案通り承認され終了した。
林専務理事の「よき日 よき場所 よき仲間!沖縄支部が4回・5回、6回と継続していきますように。また、松山大学温山会創立90年目を益々盛り上げていただくこと」を祈念した乾杯の音頭で懇親会はスタートした。美味しいお酒と料理をいただきながら色々な話題が出てくる。今年も比嘉先生に参加いただいた。比嘉先生が弟さんの家の泡盛(26年ものの古酒)を持参してくださいました。香りも甘く、口に含んだときの舌触りがまろやかで実に美味しい。いただきながらいろいろな話が飛び交いました。泡盛の作り方から始まって、味わい方や保管の仕方まで。石垣島市役所の観光文化課の主任さんが大洲市の友人と宇和島市の闘牛を研究しに行った話。石垣島が尖閣列島の問題から建設ラッシュでバブルの頃のようになり、観光客も大変多いこと。松山・三津浜出身の方が転勤で沖縄勤務となり、奥様と知り合い結婚し定住していること。小柳ルミ子の『星の砂』と石垣島の関係。
比嘉先生持参の沖縄料理。夏野菜として夏バテ防止にも効果があるといわれているナベラー(ヘチマ)は、若くて水分の多い実を使うため、食感はやわらかく甘味がありとても美味しく皆さんに大好評でした。また、沖縄そばとソーキそばの違いは?興梠会長の怪答は①肉がついているかどうか②価格が100円違い。掛け合い漫才のような場面もありました。
会が盛り上がる中、興梠安会長(大17)から、会長と比嘉先生の繋がりを紹介されました。そのひとつに、比嘉先生の西洋経済史の試験で『17世紀の産業革命』について自問自答をして見事『良』をもらったこと。現在松山で第2木曜日にある比嘉ゼミのOBが中心の『2木会』にゼミ生でもないのに参加していることがまず紹介されました。
挨拶では「今回の支部総会では、日程調整をしてもらったお陰で出席できて大変うれしい。北海道支部も小人数ながら継続してやってもらっており沖縄支部もそうあってほしい。松山大学温山会のトピックスとしては、温山会東北仙台支部総会は女子駅伝の応援もあり3年連続で参加しました。この3年間女子駅伝部も3位、3位、優勝と頑張ってくれ念願が叶いました。優勝時の乾杯の音頭は“立命館の5連覇を超える6連覇”と目標を高くという願いを込め行いました。女子駅伝部は松山大学、松山大学温山会の誇りであり宝でもあります。
昨年4月に熊本は震度7という大きな地震に見舞われました。12月16日の支部総会に伺ったときの印象として、未だに傷は癒えてはおらず、熊本城や周辺の様子を見る機会がありましたが、現状復帰はまだまだのようでした。総会には、熊本支部10名の支部の方々に参加してもらいました。家屋の損傷等いろいろな被害はありましたが皆さん元気で生活されており、アットホームな支部総会でした。
2016(平成28)年5月の本部総会からスタートして、本日の沖縄支部が33番目の支部です。会長として24支部に参加し交流しました。沖縄は41番目、42番目がNY支部。今年5月の総会には大連支部もできる予定です。最後に残った防府支部に6月早々に行く予定です。就任以来約3年かけて国内全支部に参加するという目標が達成されます。今後さらに交流をし“松山大学温山会ここにあり”を鼓舞していきたいと思います。
4月21日午後5時30分からは、温山会創立90周年記念シンポジウムを開催し、大学在学中に起業し卒業後は松山市内の会社に就職後、東京で会社を立ち上げ、2014年にマザーズ上場している(株)リアルワールド菊池誠晃社長(大49)、松山大学熊谷太郎副学長、学生2名を含む4名にパネリストをお願いして“大学の未来”を語っていただく予定です。今後とも本部と支部の連携・絆を深めていきたいと思いますので今後ともご協力いただきたい」との挨拶あった。
世良キャリアセンター事務部長より「初めて沖縄に来ました。本当に沖縄に来るのが楽しみでした。空港到着後会長と『沖縄そば』を食べ満足しました。到着が早かったので国際通りも行ってきました。この会が終わったらもう一度国際通りに行ってみたいと思っています。大学の近況としては、18歳人口の減少で4年生私立大学の44.5%が定員割れと言われます。短大に至っては66.9%が定員割れです。松山大学は5学部5学科と短期大学約6,000名の学生がいますが、昨年度も定員割れはありません。今回の推薦入試の競争倍率は2倍を超えています。大学で選考できる状況となっており、他の私立大学とは状況が違っています。これもやはり卒業生が社会人として、企業や地域での頑張りがあってこその評価だと思います。就職率もよくなっていますし『就職に強い松山大学』と地元からの評価もいただいています。これに胡坐をかかずに頑張っていきたいと思います。
昨年4月にオープンした樋又キャンパス(南海放送跡地)は4階建てになっており、中は吹き抜け構造で全面ガラス張りになっています。キャリアセンターも新キャンパス1階に入っていますが、いつ誰に見られているか分からないという緊張感の中で仕事をしています。樋又キャンパスのレストラン『ル・ルパ』のランチメニューはやや高めで850円ですが、今までのカルフールとの利用法を変えて学生も特別な場合(誕生日や就職決定等)に利用しています。夜はアルコールも出ますので5~10人の小人数でもパーテーションで仕切りをして利用が出来ます。学生は夜10時まで24時間守衛さんもいて冷暖房完備で警備も万全。安全・安心な施設で勉強が出来ます。今までにない施設です。
昨年は松山大学女子駅伝部が立命館大学の6連覇を阻止したことで、テレビ中継で“松山大学”が主役として2時間テレビに追っかけられ、全国70,000名を超えるOBにも大変喜んでいただき、松山大学がまた一丸になれました。2月4日の祝賀会では、全国から関係者やOBも駆けつけてくれ素晴らしい盛り上がりとなりました。
松山大学は“知の拠点”として今後益々存在意義のある大学にしていくことが大事だと考えています。この1月から42歳という若い溝上達也理事長・学長が就任しました。若い理事長・学長を支えてOBの方々が誇れる大学、世間に評価される大学を目指していきたいと思います。2013年に90周年が終了し、2023年には100周年を迎えますのでイベントも考えていきたいと思っております。ご支援ご協力をよろしくお願い致します」との挨拶。
続いて始まった近況報告では「①愛媛県出身。転勤で沖縄の専門学校に勤務しています。沖縄に根付いて地域の皆さんと力を合わせて頑張っていきたい。母校の発展を願っています。②5年間大学で学びました。卒業の時もう一年いたらどうかと先生に言われました。少子化の時代に定員を満たしそして倍率も出ており大学を誇りに思います。③2016年3月の卒業です。有師寮に4年間お世話になり、寮長も経験できました。樋又キャンパスオープン前に卒業してしまいました。④一緒に入学した友より早めに卒業してしまいました。今治に就職、そして転勤で中国に3年間。中国で転職してそのまま10年間仕事。帰国して5・6年目です。観光課で仕事をしています。観光客が町中に溢れているという石垣島から参加しました。⑤沖縄支部がどうなのかいつも気になっています。松山と沖縄の関係は最近『ヘチマ』だと思いだしました。ナベラー(ヘチマ)を通して『子規』と『沖縄』のつながりだと思います。子規の最後の句3句はヘチマがテーマです。子規は写生でもヘチマをよく描いています。それで今日はヘチマ料理を持ってきました。♬ ヨウテイ ♫ マジャガル ♪(沖縄の歌)これからも若い人で沖縄をよろしくお願いします。
松山大学校歌と松山商科大学学歌を声高らかに斉唱・記念撮影の後、
二次会会場のラウンジに全員が移動した。二次会でも、興梠会長と比嘉先生を中心に色々な話題「①名城大学から松山大学へ:五島昌明先生の存在②興梠会長が行方不明:富士山女子駅伝応援バスと行方不明のマグロ③女子駅伝部応援ツアー:豪華0泊3日の旅④高沢先生と大学後輩の石原慎太郎の人間模様⑤興梠君は寮生なのか?
⑥塩崎潤元衆議院議員と松野五郎先生⑦比嘉清松ロシアハバロフスクで亡命未遂?:“ダーダー”が失敗のもと⑧残業問題:興梠一宮工務店社長より課長が怖い⑨比嘉先生とスマホ・ガラケー談義:スマホが手放せないシニア⑩新疆ウイグル自治区と中国⑪中越戦争と賢く我慢強いベトナム人⑫サッカー指導と銀行経営等々」で会は沸騰した。
【あとがき】興梠会長と沖縄支部との日程調整によりやっとの思いで3月4日に総会を開催することが出来た。2月の第一土曜日に決定していたために、予定されていた方々には大変申し訳なく、ホームページにてお詫び致します。来年度からは、2月第一土曜日です。是非予定に入れておいてください。
最後に私事になりますが、専務理事として1年と11ケ月、興梠会長と海外初の支部ニューヨークへは行くことが出来ませんでしたが、全国42支部の先輩方等との交流はとても新鮮でとても刺激的でした。この沖縄支部総会を最後に定年退職致します。大変お世話になりました。ありがとうございました。皆様のご健康ご多幸と松山大学、松山大学温山会の発展を祈念致します。
「痰一斗糸瓜の水も間に合はず」「糸瓜咲て痰のつまりの仏かな」「をとといの(一昨日の)糸瓜の水も取らざりき」比嘉先生から懇親会の中で披露していただいた子規最後の3句です。今年は正岡子規・夏目漱石生誕150年を記念する「松山から世界へ そして未来へ」をテーマに、子規と漱石の「出会い」「友情」「別れ」「功績」を紹介する事業を行っています。松山大学温山会創立90周年と併せて「未来」を考える“松山・松山大学”においでください。