私の学問遍歴を読んで

更新日:2016年5月17日

カテゴリ:同窓生情報

私の学問遍歴(企業会計)を読んで  

以下の①②③の文章は、月刊誌『企業会計』の4月号から6月号に掲載された神森先生が書かれた『私の学問遍歴』からの抜粋です。

①経済学から会計学へ

 「君は高商出だから簿記会計は教えられるだろう」とは上司の言葉。昭和25年の初めのことです。そのころ、私は税務大学校広島研修所の前身である国税庁税務講習所広島支所で大蔵教官の辞令をいただいて経済学の講義を持っていました。(中略)

【企業会計6月号】

【企業会計6月号】

 簿記会計は「広い直線道路の中央に立ったときのように、ずっと遠方まで見通せるような感じであった」のに対して、経済学には歴史があり哲学があるので、はるかに興味が持てました。松山経専では経済学のゼミに属しており、僭越にも再生産論と題してケネーやスミスを取り上げた卒論を書きました。ゼミの指導教授は戦時中ナチス体制のゴットル経済学の研究者として有名でしたが、戦後はシュンペーターの研究家として博士を取得した吉田昇三先生で、語学に堪能な優れた学者でした。その影響でしょう。私と同期のゼミナリステンのなかからは一橋大学の坂本二郎をはじめ何人もの研究者が輩出しました。
 私は、昭和26年、急に思い立って公認会計士の2次試験を受けたのですが、試験日まで50日ほどで、組織的な試験勉強はほとんどできず、特に経済学は全く勉強しなかったのに、全科目に合格(足切制あり)して、この試験にパスできたことは、学問とはこういうものだということを、身をもって教えてくださった吉田先生に負うところが大きいと思っています。
【“神森先生と言えば会計学”とのイメージが強い自分にとっては、意外な側面を知るとともに、学問との不思議な出会いに驚きをもって読ませてもらった。】

②税務会計との出会いとその後

 前回も述べましたように、私は、命ぜられて税務講習所で簿記会計の授業を担当することになりましたが、短期講習では、相手が税務職員であることを考えて、法人税や所得税担当者の場合には、参考として税法の所得計算規程にもふれるという内容の講義をするようになりました。「門前の小僧習わぬ経を読む」の類です。そして、これが私の税務会計との出会いの始まりでした。
【「特別会計士試験の受験勉強をしなければならないと思っている矢先に、税務会計に関する本を書いてくれと出版社の社長から頼まれて、昼は公務員、夜は週4日各種學校での授業を担当しながら、正味2週間で刷上がりA5版220ページを書きました。人間は忙しいときほど頭の回転が速くなり、仕事も正確になるということを身をもって体験しました」と述懐されている。9年間で月刊誌『税務経理講座』に108回もの会計処理を説明する解説。大学の論集にも税務会計の総論に係る問題を捉えての執筆や著名な先生方から指名を受けての執筆もされているのも驚きです。】

③学問は竹林のように地下茎でつながっている

(冒頭部分省略)依頼されるままに、いろんな分野の問題に首を突っ込んできました。これも、私には会計学の指導教授がありませんので、どなたにも気兼ねなく自分の考えのみで対応することができたからでしょう。(中略)いろんな分野に手を出してきた結果、多角的にまた広い視野の上に立って問題を見る目が養われたように思うとともに、若いとき、経済学(実は古典経済学が中心)を勉強していたことが問題をマクロ的に見る目を与えてくれたようにも感じています。そして、このような私の経験から思うことは、学問は、外見からすると竹林の竹のようにそれぞれが独立して見えますが、実は、みな地下茎でつながっているようだということです。この点、昔の「哲学者」と呼ばれてきた人たちの文理の垣根を超えた著作を見ても言えるように感じています」

【熱弁を振るう神森先生】

【215年6月松温会での神森先生】

【神森先生の書かれたものを、中途半端に切り売りするような取り上げ方で大変失礼とは思いながら、現役で活躍中の温山会の大先輩の著書を是非皆様にご紹介をと思い、HPへのアップを致します。とにかく月刊誌の中の1ページのみですが、エキスが凝縮されたもので、とても魅力的でした。神森先生は1927年のお生まれ。経専22回卒業の大先輩、益々のご活躍を祈っております】

 

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