松山支部
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松温会発会40周年記念 第433回1月特別例会 開催報告
令和6年1月24日(水)18:30から、ANAクラウンプラザホテル松山南館4階エメラルドにて、松温会発会40周年記念第433回1月特別例会が161名の出席のもと、松山支部事務局長中川あゆみ氏(大42)の司会で開催されました。
会に先立ち、今井俊朗松温会会長より、「先ずは、能登半島地震によりお亡くなりになられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。本日は県内各支部から多数の皆様にご参加いただき、誠にありがとうございます。今回で433回を迎える松温会は1953年5月に当時の温山会幹部が活動をより活発にしようとの強い意志でスタートし、大先輩方のご尽力と会員の幅広い協力を得て発展し、昨年で40周年の節目を迎えることができました。我々はこの伝統を承継し、更なる発展を目指さなければならないと思っています。今後ともご理解とご協力をよろしくお願いします。本日はみんなで40周年を祝いましょう」とご挨拶がありました。
続いて学校法人松山大学理事長・学長より「能登半島地震によりお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表するとともに被災された方の一日も早い復興を祈念します。本日は松温会の40周年記念、誠におめでとうございます。昨年は松山大学が100周年を迎えた年であり、色々な企画に松温会の皆様にもご支援をいただきまして厚くお礼申し上げます。大学としても人口減少等の厳しい状況を乗り越え、しっかりと学生を支援していく所存ですので、引き続き皆様のご支援をいただきますようよろしくお願いします」とお祝いのお言葉をいただきました。
この後、安部優秀氏(大14)に「私の人生」という演題でご講演をいただきました。安部氏は「私の父は松山高商9期の卒業で、息子2人は松山大学卒業です。越智学長の時代に『男性だけで3代はあるけれど、女性が入るのはあなたが一番です』と言われて嬉しかったことを覚えています。さて、昨年松山大学のキャンパスを見て回ったのですが、様子は全く変わっていて女子学生も多くいました。私たちの時代は女子がほとんどいなくて406人の入学生のうち女子は6人でした。授業のことはほとんど覚えていませんが、星野学長に商大の図書館は西日本一の蔵書数なのだから利用して勉強するようにと言われたことは頭に残っています。私はあまり勉強が好きではなく図書館には1回しか言ったことがなかったのですが、今になって思えば図書館を利用するのはとても大事なことだと後悔しています。いやな先生の授業の時はエスケープしたりもしました。神森ゼミだった私は、神森先生に呼ばれて成績のことで怒られたこともあり、それがとても辛かったことも覚えています。大学院でも神森先生の授業を受け、若い学生たちと一緒に勉強ができ幸せな人生だったと思っています」と学生時代の懐かしいお話をいただきました。
また「『安部優秀』に改名したのは、結婚して『安部浩子』になったのですが、姓名判断で良いとは言えない名前だったので、金運があって老後が楽になるという名前を一生懸命探したら『優秀』だったのです。まず僧侶になるために高野山の常喜院で得度を受け、僧名を『安部優秀』とするため『度牒(出家した者に官府が得度したことを認めて与えた公認文書)』を持って裁判所に行き、戸籍を変えることでこの名前を使うことができる判決が出されました。それから戸籍を変え『安部優秀』一本でいっています。松山大学100年、松温会40年、私も80年、よく頑張っていると思います」と改名に関するお話もしていただき、盛大な拍手が送られました。
この後、温山会副会長八石玉秀氏(大30)の乾杯のご発声により懇親会が始まりました。懇親会では余興として、卒業生や在学生がメンバーに入っている『ロケナニフラスタジオ』によるフラダンスが披露され、会場の皆さんはダンスに見とれていました。また、豪華景品が当たる抽選会では抽選のたびに歓声が上がり賑やかな雰囲気で会は進んでいきました。
会の後半には、吟詠部OBの宇摩支部副支部長鈴木富雄氏(大19)の口上による逍遥歌の大合唱、引き続いて應援團OBの福良圭介氏(大35)の口上による松山商科大学校歌が大合唱され、さらにエールが送られました。会場は一気に盛り上がりを見せました。
最後は、昨年発足した佐田岬支部長阿部吉崇氏(短大45)の締めにより、
松温会発会40周年記念特別例会は盛会のうちに幕を閉じました。
松山支部青年部が能登半島地震救援金募金箱を持って会場を回り、皆様のご厚意により集まりました86,717円を、愛媛新聞社を通じて被災地へ送らせていただきました。ありがとうございました。